鉄道伝説一挙放送SP第29〜32話

Category:
Date:
2020-09-12 20:58 UTC
Submitter:
Seeders:
0
Information:
No information.
Leechers:
0
File size:
498.3 MiB
Completed:
446
Info hash:
f9b398f0f52102de1c117d3a4304345245b35b64
第29回「大阪万博 波動輸送~2200万人の輸送を成功させよ~」 1970年に開催された大阪万博(EXPO’70)総入場者6421万人。東京五輪と共に高度成長のシンボルとなるメガイベントの影では、前例のない鉄道輸送に戦い続ける男たちがいた。 輸送の主役と目された東海道新幹線は当時の編成、ダイヤでは対応できない事が判明。早急な対応策が講じられた。車両編成の増加、ダイヤの増発。さらには急行用の新形車両「12形客車」の増産も行われ準備万端かと思われた。 しかし入場者予想が上方修正。新幹線だけでなく旧型車両をかき集め臨時急行「銀河」の増発。開催後も乗客は増え続け、国鉄は第1次、第2次追加手配を実行。騒音問題で深夜運行不可能だった新幹線も特別に深夜運行となる「ひかり328号」を増発。更に様々な困難のもと、「先行する急行を追い抜く」という前例のないダイヤで東海道本線・臨時こだまの乗り換え用臨時列車「エキスポこだま」を運行。最終的にはダイヤに載らない臨時列車の増発まで行われた。 男たちは半年間に渡る史上最大級の鉄道輸送に奮闘した。 第30回「長野電鉄2000系~革新的な狭軌用の駆動装置を開発せよ~」 長野県に古くから親しまれている長野電鉄。地元の足としてだけではなく観光開発にも尽力し、昭和20年代半ば頃からウィンタースポーツを楽しむ観光客が飛躍的に増加。それにともない新型車両の開発が決断された。 開発において注目したのは、モーター、動力伝達装置。当時、欧米諸国で積極的に取り入れられていたWN駆動装置である。しかし、欧米諸国は線路の幅が広い標準軌、対して長野電鉄は日本で一般的な狭軌のため、車両機構の違いからこのままでは採用できない。狭軌における新鋭車両の開発に向け大いなる試練が始まった。 第31回「東京モノレール~近未来交通で羽田と結べ~」 昭和39年、東京オリンピック開催に合わせて開業した東京モノレール。 東京の空の玄関・羽田空港と都心を結ぶそれは、東京オリンピックの成否をも賭ける日本の命題であった。 始まりは1通の手紙だった。当時の帝国ホテル社長・犬丸徹三のもとに、旧知の仲であるスウェーデン人、ヴェナーグレン博士から「アルヴェーグ式モノレールを日本に提案させてほしい」という内容の手紙が届く。そして、犬丸が発起人となり、日本高架電鉄を設立。アルヴェーグ式モノレールに魅せられた名鉄と日立製作所が参加し、昭和38年5月、羽田と都心を結ぶモノレールの起工式が行われた。しかしその時すでにオリンピックまで558日。とにかく時間がなかった。 東京オリンピック開会式まで1か月を切った昭和39年9月16日、名鉄の白井昭をはじめとする技術者たちの意地が詰まった大プロジェクトはなんとか開業式を迎える。 開発・敷設に携わった男たちの情熱と丁寧に整備・改良を重ねてきた男たちの努力の賜物は、開業から50年経つ今も、当時の姿を色濃く残しながら活躍している。 第32回「西武鉄道5000系その後の物語~初代レッドアロー 富山での復活~」 昭和44年、東京埼玉に路線を持つ西武鉄道は、有料の特急列車の運転を開始した。 スイスの観光列車からとられた「レッドアロー」という愛称のこの5000系電車は、たちまち人気を集め、先行していた小田急、東武のロマンスカーと並ぶ関東の花形電車となった。 翌、昭和45年には鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。 その後も、時代に合わせて複数回のリニューアルを行い、20数年にわたり常に西武の看板車輛として活躍した。 そして、平成5年。後継の「ニューレッドアロー」10000系のデビューと共に、無事その役割を終え、静かに引退していくものと思われていた。 しかし、5000系レッドアローの運命は、地方鉄道マンの熱い想いによって、意外な方向に転がる事となる。~」

File list

  • 鉄道伝説一挙放送SP第29〜32話.mp4 (498.3 MiB)